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日本建築の流れ

有名な建築家、フランク・ロイド・ライト

有名な建築家

13 2月

“フランク・ロイド・ライトは1867年6月に米国ウィスコンシン州で生まれ、1959年に亡くなった建築家です。牧師の家に生まれ地元のウィスコンシン大学マディソン校に進学します。そこで土木工学を学び始めましたが中途退学し、シカゴの建築事務所で製図担当者として働き始めました。

しかし最初の事務所には1年ほどで辞め、次のアドラー=サリヴァン事務所では徐々に設計の仕事を任されるようになりました。そこで初期に設計した建築として有名なのはライトの自宅です。多くの建築家と同様に、若いライトは実験的なアイデアを組み込むことで、自分のスタイルを模索したと言われています。彼は1909年に不倫相手と駆け落ちをしてこの家を捨てヨーロッパに移りました。現在この家では見学ツアーが開かれており、誰でも内部まで見ることが可能になっています。

フランク・ロイド・ライトはアドラー=サリヴァン事務所で才能を認められ、大半の住宅設計を受け持っていました。しかし子どもが多いにもかかわらず浪費が辞められなかった彼は、事務所を通さない設計をしていたためアドラー=サリヴァン事務所を辞めて、自分の事務所を設立しました。そこで1893年から1910年までの間に数多くの設計をし、プレーリー様式で知名度を上げます。

プレーリー様式は屋根のラインなどが水平基調となっていることが特徴です。アメリカの平原に似合うスタイルということで、この名前になりました。それまでの建築様式とは違い、柱と壁の関係に自由度を持たせ連続した開放的な空間を生み出しています。フランク・ロイド・ライトは自分のアイデアの源泉を積極的に話さないことで有名な建築家でしたから、発想のもとはわかりません。しかし日本の書院造や寝殿造からの影響を指摘する声もあります。

駆け落ち後の彼は様々なトラブルによって、建築家としての仕事ははかどりませんでした。ですが1930年代に落水荘やジョンソンワックス社という2つの代表作を設計し、建築家としての名声を確立します。晩年は本の執筆に精を出し、1959年に91歳にこの世を去りました。

2019年7月にフランク・ロイド・ライトの20世紀建築作品群という形で、8つの建築物がユネスコ世界遺産に登録されました。日本文化に興味を持っていた彼は、日本にも作品を残しています。帝国ホテルや自由学園明日館、旧山邑邸が有名で、帝国ホテルは一度解体されたのち一部が移築再建されています。現在は愛知県犬山市の博物館明治村で、玄関部分が見られます。”

カテゴリー:有名な建築家

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