奈良県の斑鳩町にある法隆寺は、聖徳太子ゆかりの寺院として日本史の教科書には必ずと言っていいほど登場する有名な存在です。1993年には、世界文化遺産にも登録されました。また、この寺院は現存する中では世界最古の木造建築としても知られています。
法隆寺が創建されたのは、史料によれば推古天皇の治世に当たる607年のことです。現在残されている建物群も、その頃に建てられたのが最初であると考えられています。
ただ、創建以来1度も建替えられることがなかったわけではありません。わが国最古の史書である『日本書紀』によれば天智天皇の治世に当たる670年に、火災でいったん消失しています。その後、いつ再建されたかは不明であり、また『日本書紀』の記述自体が誤りなのではないかという説を唱える人もいたことから、現存する建物が一体いつ頃造られたのかは常に議論の的となっていました。
しかしながら、1930年代に行われた発掘調査によって焼亡の跡が見つかり、『日本書紀』の記述が正しいことが分かりました。また、2000年代に入ってデジタル技術を駆使して行われた調査によって、使用されている木材の伐採時期は主として650年代から690年代のものであることも判明しました。
これらの調査の結果、正確な時期は不明ながら現存する建物は7世紀の後半に建てられたものであることが確実視され、実に1300年以上の歴史を有していると認められることとなりました。
こうして世界最古の木造建築であることが明らかになった法隆寺ですが、寺院全体は複数の建物群で構成されています。そのうち最古と認定されたのは、西院にある五重塔・金堂・中門・回廊の4点です。いずれも飛鳥様式と呼ばれる建築様式を今に伝えています。というより、これらの建物群に共通した様式が、後に飛鳥様式と名付けられることとなりました。具体的には、軒の出を支える組物と呼ばれる部分に雲斗や雲肘木という曲線を多用した部材が用いられていること、建物四隅に位置する組物が斜めにのみ出ていること、などが典型的な特徴です。
なお、法隆寺の建築と言えば東院に位置する夢殿が西院の五重塔や金堂などと同じくらい有名ですが、こちらは8世紀前半に建てられたものと考えられています。ただし鎌倉時代に属する1230年に大規模な修理が行われたとの記録が残っており、現在残されている建物のうち屋根部分については、創建当時ではなく鎌倉時代の様式が見られます。